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zoom RSS 大女優が語る昭和の映画・佐久間良子

<<   作成日時 : 2017/05/04 07:10   >>

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 文藝春秋(17/2月号)には、大型企画「大女優9人が語る昭和の映画」が特集されている。77歳の佐久間良子さんは、女優志望ではなかったという。高校時代、佐久間良子さんは西武線で通学し、「西武線のマドンナ」として男子生徒の憧れの的だった。その噂が練馬の東映撮影所の耳に入ったという。「高校を卒業する頃には、帰宅すると自宅の前に東映の車が連日停まっていて『ぜひ女優に』と偉い方が説得に来ている」状態だった。両親も映画界入りを反対していたが、気持ちが次第に変わって一年ぐらいやってもいいかと思い始めたという。東映の委託生として俳優座で勉強をしていたが、アニメ映画から声がかかった。「日本で初めての長編アニメ映画『白蛇伝』(昭和33年)のヒロインの“モデル”を演じたのです。東映は当時ライブアクションという方式を採用し、アニメの脚本通りに俳優を動かして撮影して、アニメーターはその映像を観ながら1カットずつ絵コンテを手書きしていました。私の映像の担当だった烏丸軍雪さんという方は2年間、毎日私の動きを見続けたそうです。ちなみに烏丸さんは後にダイアナ妃のドレスを手がけるなど、ファッションデザイナーとして活躍されました。『白蛇伝』は今や世界から評価されている日本アニメのスタート地点にある作品。携わったスタッフの方々はアニメ界の草創期を支え、スタジオジブリの宮崎駿さんもこの作品に出会ってアニメ界を志したそうです。ちょっと大げさですけど、私たちの動きが日本アニメの原型なのかな、と思うと少し愉快ですよね」
 映画女優になった佐久間良子さんは超多忙の日々を送る。
「(昭和33年)当時は映画館で毎週新作がかかっていた時代ですから、デビューが決まって現代劇を撮る東京撮影所へ配属になると、何も考えられないくらい忙しくなりました。東京撮影所で、朝9時開始のA班で江原真二郎さんのお相手役になりお昼までに一本撮る。午後からはB班で高倉健さんとご一緒して17時までに撮り終ると、すぐに車で東京駅に連れていかれ、夜行列車で京都に向かいます。当時、京都まで8時間かかったので到着は朝でした。京都・太秦の撮影所に着くとバタバタとメイクをして、先代・中村錦之助さんや大川橋蔵さんのお相手役をやらせていただき、また夜行列車で東京に引き返す。私の寝床は寝台車と言ってもいいくらいでした。よく体を壊さなかったと思いますが、若かったからでしょう。同時並行で作品を撮っているので、もう演技がうまい下手ではないんです。セリフを覚えるのも大変で、恋人の名前を他作品と間違えて怒られたこともあります。しかも東京と京都で、現代劇と時代劇を演じ分けなければいけない。言葉が違うのはもちろん、衣装も東京では洋服、京都では着物にかつらで、歩き方も違う。慣れるまでは、苦労の連続でした」
 当時の太秦は活況を呈していた。佐久間良子さんは、多忙を極めながら出演作を選ぶようになっていく。
「『故郷は緑なりき』(昭和36年)の頃から、少しずつ女優という立場を自覚するようになりました。それまでは辛いことがあると、『もういい。もう辞める』と投げやりになっていたのですが、作品や役に対する責任感が自然と湧いてくるようになりました。そして『人生劇場 飛車角』の情婦・おとよ役のお話を頂きます。それまでは清純派の役ばかりでしたから、『とてもできない』と何度もお断りしましたが、当時の東京撮影所所長は後に社長になる岡田茂さんで、『佐久間君、どうしてもこの役を演じてくれないか』と頼み込まれて、お引き受けしました」
 飛車角は鶴田浩二、監督は沢島忠だった。飛車角とおとよとの別れの場面に力をこめた。
「沢島忠監督から『相手に触れないで別れの芝居をしてくれ』と言われた。一般的には『行かないで』と縋りつくのに、それは絶対にしないでくれという。それも8分もの長い時間をワンカットで撮ることになっていました。(略)終わった時にはエネルギーを使い切っていました」
 無我夢中で取り組んだこの場面は好評で、作品も3部作となった。共演した鶴田浩二は14歳年上で近寄りがたい存在だったが、次第に打ち解けていった。二人はデートするようになった。
「その後も『次郎長三国志』シリーズなどで共演しましたが、当時は今の『週刊文春』みたいにマスコミも騒ぐようなことを言わなかったから、みなさん見守ってくれました」
 女優として認められた「飛車角」の次に、「五番町夕霧楼」に主演した。
「これは東映初の女性主演で、大変な額の製作費をかけた作品です。京都の遊郭・五番町のオープンセットを東京の撮影所に作りました。私が演じた夕子が初めて京都へ出てきたシーンで一瞬だけ市電が通るのですが、ワンカットのために本当にセット内に電車を走らせていた。あれには驚きました。完成した映画は、真っ赤なサルスベリの花が象徴的に使われ、いま観ても詩的で美しい作品です。監督の田坂具隆先生は、映画監督としても人間としても尊敬できる方。撮影中はいつも私のことを『夕ちゃん、夕ちゃん』と役名で呼んで下さった。その声や呼び方が本当に温かかったのを覚えています。夕子が、千秋実さん演じる呉服屋に『水揚げ』されるシーンでも田坂先生に救われました。初めて演じる場面で私は緊張していたのですが、田坂先生は俳優が何回テストをすれば本番でいい芝居ができるかをしっかりと見抜き、私からいい表情を引き出してくださいました。また、田坂先生が通行人役の役者の名前も覚えていらっしゃるのに驚きました。画面では米粒ぐらいにしか映らない後方の俳優にも、一人ひとり『こういう気持ちで歩いてください』と演技指導される。監督が名前を覚えて下さるのでみなさん感激してしまう。人間を大切にする方で、今でも一番に尊敬する監督です」
 佐久間良子さんはその後も、色々な監督の作品に出演した。
「多くの監督とお仕事をしてきましたが、個性は様々でした。印象深いのは、『越後つついし親不知』(昭和39年)でご一緒した今井正監督。とても厳しい方で、40回も50回もテストをやらされた上に、『佐久間君、前から4番目のがいいけどな』と平然とおっしゃる。内心では『3番目も4番目も変わらないわよ!』と当時は文句ばかりでした。また作中、共演の三國連太郎さんが、雪の中を歩く私に欲情して襲い掛かるシーンがあったのですが、今井監督は『連ちゃん、オオカミがウサギを狙ってるようにね』と憎らしい言い方で指導する。三國さんは演技が本当にお上手だから嫌らしい役柄になりきっていますし、大柄だから腕を押さえられると本当に動けない。そして次のシーンは夫役の小沢昭一さんが嫉妬に狂い、私の顔を田んぼに突っ込む。あんな重労働を強いられた撮影は初めてでした」
 東映はやくざ映画に傾き、興味本意で刺激性の強い内容の作品が増えていった。佐久間良子さんは東映から離れて舞台に立つようになる。
「舞台で演じることの面白さは、映画と違いますね。毎日同じ演目を繰り返しているのに、演じる相手の呼吸や間が少しずつ違うため、同じ役を演じていても必ず差違が生まれる。そのことはプレッシャーにもなるのですが、私はそれこそ舞台で演じる面白さだと思っています。私の女優人生でも代表作といえる『唐人お吉』も舞台の作品です。この作品では、お吉の20代から40代後半まで演じたのですが、お吉はだんだん荒んでいき、アル中の物乞いにまで身を落とし、最後は半身不随になってしまいます。体の動かし方はもちろん、声の出し方も変えていく。20代の頃は明るく美しい声を出しますが、だんだん落ちぶれていき物乞いになったときには美声では説得力がない。ですから幕間に声を潰していました。皆さん『どうしてそんな声が出るの』とおっしゃいますが、落ちぶれたお吉の気持ちになって舞台に上がると、自然と低いアル中のしゃがれた声が出てくるんです」
 佐久間良子さんは昭和45年に俳優の平幹二朗さんと結婚した。男女の双子に恵まれたが、59年に離婚した。双子は佐久間良子さんが引き取り、平さんは2016年10月に82歳で急逝した。平さんと離婚の話し合いをしているときに大河ドラマ「おんな太閤記」(昭和56年)に出た。
「今でこそ当たり前ですが、初めて女性が単独主演した大河ドラマ。NHKの大河といったら大作ですし、主役は一年間、座長として周囲を引っ張っていかなくてはいけません。プレッシャーもありました」
 幼い子供たちは母親が女優だということを知らなかったが、大河ドラマに出た後は学校で話題になり意識し始めたという。平岳大は中学校でサッカーをやった。
「岳大は強豪校のサッカー部に入っていましたから、休日は遠征が多く、私も他の父兄とバスに同乗し、他県まで応援に出かけていました。そんな時の周囲の視線が岳大は嫌だったみたいですね。自分がゴールを決めても『平君の両親は…』と言われる。親とは関係のない場所で、自分を認めてもらいたかったのでしょう。中学卒業後は、大学院までアメリカで勉強をしました」
 離婚した二人だったが、平成14年の舞台「鹿鳴館」で共演した。
「普通なら前の夫と仕事をするのは嫌かもしれませんが、私は役者として平さんを尊敬していた。『相手に不足はない』とお引き受けしました。女優として俳優・平幹二朗に挑戦したいという気持ちでした。ただ、私たちが演じる影山伯爵夫妻の息子役が、制作発表後も空欄になっていた。プロデューサーに『どなたですか?』と尋ねたら『交渉中です。少し待ってください』というお答え。そして、後日、打ち合わせを兼ねて平さんとスタッフとお食事をしていると、その場に息子の岳大が現われたのです。そして『僕が息子役を演じることになりました』という。まさに青天の霹靂で、頭が真っ白になりましたよ。正直なところ、何のために岳大をアメリカの大学まで通わせたのかと思いました。しかし、本番が迫った土壇場で主役の私が降りるわけにもいかず、親子三人で競演することになりました。それでも、演技の素人だった岳大が、キャリアを積んだ俳優でも難しいような役を、見事に演じきったことには、ただただ驚きました。その頃から一貫して、私から俳優の仕事について何か助言したことはありません。昨年の大河ドラマ『真田丸』の武田勝頼役などは素晴らしかったですが、まあ『お好きにどうぞ』というのが素直な気持ちでしょうか(笑)。善意の助言でも、女優の母親に口を出されたら嫌でしょうからね。平さんとの離婚は、お互いの演技に口を出してしまったことも原因のひとつでした。俳優は役作りの中で同業者から何か言われたらトラブルになる。身内だからこそ気に障り、もやもやとした気持ちが鬱積していくのです。でも岳大は、平さんとは演技について語り合っていたようです。平さんは演技論も滔々として話せる方でしたから、とても良かった。昭和の時代を生きた俳優の息づかいが、少しでも岳大に引き継がれ、作品を通じて後世に伝わっていけばいいですね。平さんに嫉妬?それはありません。子供たちが平さんと会っていても干渉しません。よく『クールですね』『男らしい』と言われますが、女優って実は男っぽいんですよ」
 佐久間良子さんは今、書に打ち込んでいる。書も演技も一期一会だという。 





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