東條英機・「独裁者を演じた男」(一ノ瀬俊也著、文春新書)


1941年12月の真珠湾攻撃からサイパン島陥落までの2年9ヶ月間、首相を務めた東條英機は、戦後、A級戦犯容疑者としてGHQに逮捕された。本書には、1945年9月に文学者の杉浦明平が記した日記が載っている。「東條英機が逮捕に先立って自決した、とラジオは伝えている。寺内も重態という。戦争犯罪人数千人の名簿がすでに作成されているそうだ。東條などはいかにしても逃れられぬというところだ、総辞職のときか、終戦詔勅発布の日にでも自決すれば死花を咲かせたといえただろう。最後の重臣会議においてさえ、俺にやらしておけばこんなことにはならなかったろう、とうそぶいていたという噂であり、まだ一旗挙げるつもりだったらしいから、往生際の悪いこと。よし連合国が見逃がしたとしても日本国民が承知しないであろう。軍部の傀儡にすぎず、演じそこないの日本的名君であった。ドンキホーテであった。首相となって以来、漬物屋をのぞいたり、ごみ箱の蓋を開いて見てまだ菜っぱのくずが残っていると訓戒して見たり、芝居が好きであって、いつか自己をヒットラー、ムッソリーニと並べてしまったようだ。尤も清掃桶だけは臭いから東京市長にゆずって自分でのぞくのをやめた」
著者が本書で描き出している東條英機像は、上記の日記文の中に潜んでいる。著者は東條を、自ら総帥を演じた国家の指導者だったと評している。だが、決して短兵急な軍人ではなかった。東條の戦争観が形成されたのは、第1次世界大戦時の欧州視察だった。第1次世界大戦には、近代兵器が次々に登場した。中でも東條が注目したのが、航空機だった。航空戦力に勝るものが、近代戦の勝者となることを早くから認識していたと、著者は強調している。陸軍大将だった東條は、海軍の立案した真珠湾攻撃には関与していないが、その結果を見て、航空戦の重要性を誰よりも痛感したに違いない。だが、航空戦で優位に立つためには、優れた航空機を大量に生産しなければならない。航空機を運用するためには、燃料の石油が欠かせない。だが、日本には鉄も石油もない。すべて、海外から輸入しなければならないのだ。東條を含む陸軍の統制派は、国家の力を戦争だけに集中させる総力戦を構想していた。だが、国内の資源には限りがあり、総力戦に必要な資源獲得のため、海外の資源を必要としたのだ。満州、東南アジアの資源は、総力戦のために必要だと考えた。一方、満州の資源獲得だけを目的として始まった満州事変以降、関東軍を中心とする陸軍強硬派は、戦線を拡大し続けていった。それを強く批判する欧米勢力との軋轢が生じ、日本は経済封鎖を受けた。石油、鉄の入手が途絶えた日本は、東南アジアの資源獲得のため「大東亜共栄圏」という名の下、戦線を更に拡大していった。米国は日本に対して、中国大陸からの撤兵を求め、それを拒んだ陸軍強硬派が主導権をとった結果、日本は真珠湾攻撃を決断した。日本が対米戦を決意した裏には、陸軍大臣だった東條英機の極めて強硬な意見があった。陸軍が米国からの要求に妥協していれば、真珠湾攻撃は行なわれなかったかもしれない。
本書には、その時の東條の感想が記されている。東京裁判の中で、キーナン首席検事が問う。「『ではきく。11月5日日本政府が甲乙案をきめた意図は、もしアメリカがこれを受諾しなければ西欧諸国と戦争に入る決心を持っていたかどうか、イエスかノーで答えよ』と高圧的に質問した。東條はそんなことはない、『かりにあなたの御国からルーズヴェルト大統領の意図でつくられたという仮取極案(暫定協定案)、アレを出されたら事態はよほどかわってきています』と応酬した」1945年、陸軍大臣だった東條は、図らずも首相になった。対米戦をなんとか避けたいと願っていた昭和天皇と木戸幸一が、東條なら陸軍強硬派を抑え込んで米国と妥協できるのではないかと考えたと言われる。東條は、昭和天皇が和平を望んでいることを知り、外交交渉に努力を重ねたが、ハル・ノートが日米決裂の決定打となった。東條は、ハル・ノートではなく、米国側が日本に妥協したという「暫定協定案」を出してくれれば、外交決裂はなかったと主張したのだった。米国側の妥協とは、満州国だけを認めるというものだろう。
A級戦犯たちは、巣鴨プリズンに入れられたが、元外務大臣の重光葵が記した「巣鴨日記」の中に、東條英機の姿が描かれている。「彼は勉強家である。頭も鋭い。要点を摘んで行く理解力と決断とは、他の軍閥者流の遠く及ばざる所である。惜しい哉、彼に宏量と世界的知識とが欠如しておった」この記述に対して、著者は述べている。「『宏量と世界的知識』とは何を指すのだろうか。前者は他人の進言を聞き入れられる度量を、後者は英米の国力の強大さ、独伊の信用の低さを指すのだろうか。しかし後者については東條もよく理解していたはずである。後世の史家は、それにもかかわらず東條はなぜ開戦を決断したかを問わねばならない」

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