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zoom RSS 生誕150年・正岡子規展―病床六尺の宇宙

<<   作成日時 : 2017/04/23 04:16   >>

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 結核で35年の短い生涯を終えた正岡子規が生まれて150年になる。神奈川近代文学館では5月21日まで正岡子規展を開いている。
 正岡子規は、病弱で気の弱い子供だったらしい。幼い頃は外で遊んでも泣かされて家に逃げ帰っている。自分でも、家の中で読書をしたり空想に耽ったりしていたほうが楽しかったと述べている。だが、時代は明治。男子は誰でも大志を抱かなければならない時代だった。身体の弱い正岡子規は、文学で志を立てようとした。小説家を目指すが、原稿を出版社に持ち込んでも出版には至らず、俳句の道を選んだ。正岡子規を支えたのは母親と妹だ。二人に愛されているという自信、二人だけは自分の道を認めているという確信が正岡子規を支えていた。編集委員の俳人・長谷川櫂氏は「正岡子規が女性に支えられていたことを忘れてはいけない」と案内パネルに記している。
 正岡子規の熱意が伝わってくるのは、俳句分類作業だ。芭蕉を神と見立てた江戸時代の俳句だったが、小林一茶以降に俳句が大衆化し、句会で入選すれば商品が出るといった遊びになっていった。人々は古典をもじった類句を詠み、俳句は堕落していった。正岡子規は、一茶以降の俳句を「月並み俳句」として否定する一方、芭蕉の句集「猿蓑」に出会って覚醒する。俳句が芸術として存在し得ることを確信した正岡子規は、その作句姿勢を「写生」に置く。大衆受けを狙って頭の中で作ってきた俳句を、自分の目で見たままに詠む俳句芸術へと深化させていったのだ。正岡子規は、「月並み俳句」と「写生」をくっきりと区別し、峻別した。そこに到達するために、正岡子規は膨大な過去の俳句を写し取り、自分の目で判断した。正岡子規によって生まれ変わった俳句は、文学青年たちを引きつけ、多くの優れた弟子たちが生まれた。
 展示されている史料の中で、最も興味深かったのは、弟子の一人だった夏目漱石の俳句だ。初心者時代の漱石はたびたび自作を正岡子規に書き送って批評を受けている。正岡子規は、句の上に朱で丸や二重丸を書いて添削している。中にはダメだと書いているものもあるから、漱石も落胆したのだろう。手紙の最後には「遠慮なく批判してください。ただし、いいものは褒めてください」と書き添えている。漱石は正岡子規にロンドンから手紙を送り、異国の様子を詳しく伝えている。病床にあって外出もできなかった正岡子規は、とても喜んで返事を書いている。正岡子規は、漱石がロンドンに留学中に亡くなる。
 漱石の名前を広めた「吾輩は猫である」は、正岡子規が主催していた言文一致運動の産物の一つだということがよくわかる。江戸時代から明治に至る迄、人々は話す言葉と書く言葉を別々に使い分けていた。それを口語に一致させたのも正岡子規の偉大な功績だったのだ。




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