神山征二郎監督を支えた女性~脚本家・加藤伸代

 社会派映画監督として活躍されてきた75歳の神山征二郎監督を、公私ともに支え続けたのが、脚本家の加藤伸代さんだった。監督より17歳下の加藤さんは、16年4月2日、膠原病・子宮頚癌のために逝去された。
「シナリオ」誌(16年8月号)掲載の神山監督による「追悼・加藤伸代」には、監督と加藤さんとの出会いから死別までが描かれている。
「加藤は神奈川県立小田原高校を卒業したあと寺山修司の劇団『天井桟敷』の研究生となり端役で舞台にも立っていた。私と出会ったのはその頃で、まだ一九才だった」
 当時、新藤兼人監督の「近代映画協会」に所属する新鋭監督だった神山監督は、36歳の時に高校を出たばかりの加藤さんと出会った。加藤さんは映画好きだった。役者の道はすぐに諦めて、映画配給会社に就職して経理を担当した。努力家の加藤さんは、仕事を終えた後、夜間の簿記学校へ通い、簿記一級を取った。
「学習能力が高くて、無類の読書家、本の虫だった。私たちは出会って一年も経たないうちに同棲生活を始めたのだが、私はすでに妻帯していて子も居たのだから不倫であり、その極みだったから四谷三丁目辺りの人目につきにくいアパートで半ば息をひそめて生きていた」
 二人は6年後、井の頭に移り、30年を生きたが、入籍することはできなかった。やがて、神山監督は独立して1983年「ふるさと」を製作・監督した。加藤さんは、貧乏プロダクションの有能な経理係として節約に努めた。
「その時『シナリオをやってみたい』と云うので『書いてみろよ』とゆだねたのだがとても使いものにはならなかった」
 監督から否定された加藤さんは、負けず嫌いの性格を発揮して「シナリオ研究所」に通い、シナリオの勉強を始めた。そのうち、東映教育映画部製作の短編映画の脚本を手がけて脚本家となった。
「加藤は学習能力のみならず調査能力にも長けていた。短編映画を数本書いた後、『さくら』(一九九四年)、『ひめゆりの塔』(一九九五年)、『マヤの一生』(アニメ、一九九六年)、『郡上一揆』(二〇〇〇年)、『草の乱』(二〇〇四年)、『鶴彬―こころの軌跡』(二〇〇八年)、『学校をつくろう』(二〇一〇年)と私の監督作品のシナリオを担当。製作の経理と時にはキャスティング・プロデューサーも兼務して私の映画づくりを根底から支えてくれた」
 加藤さんの調査能力は高く、「郡上一揆」「草の乱」「鶴彬―こころの軌跡」の取材を精力的にこなした。
「シナリオ作家加藤伸代の講演録が残っている。『鶴彬(つる・あきら)―こころの軌跡』の舞台、石川県かほく市高松での講演の一部である。
『鶴彬は日中戦争が始まって、ナショナリズムの行く末を見通す鋭い句を次々に作って行きました。彼は治安維持法によって捕まるのですが、この法律は普通選挙(男子二十五才以上に選挙権)導入の見返りとして作られたもので、二十七日間も勝手に拘置することができるようになっています。小林多喜二は検挙されて四時間後に殺されています。後の調査によると、この法律で結局百九十四人が虐殺され、千五百三人が病死、数十万人が逮捕拘留されています。病死が目立つのは当時結核が多かったからで、鶴彬と同じ警察署に拘留されていた平林たい子も結核にかかってボロボロになって釈放されています。かく徹底的に弾圧しなければ戦争を遂行できなかったということです。鶴彬はそれが分かっていたが黙ってはいられなかったんですね。結婚せず家族を持たずという人生を貫いたのは、自分の将来を予感していたからかもしれません。一連の戦争は、明治からつながっており、秩父事件を描いた『草の乱』と深いつながりを感じました―。』
 最愛の女性であり、映画製作の戦友でもあった加藤さんの最期を、神山監督は描いている。
「死の十日程前の病室の夕刻、加藤は私をじっと見つめ『お父さん、愛してる。お父さん、愛してる。』と、およそ三十数回くり返した。その晩高熱を発し、それが最後の言葉になった。加藤伸代にもっとシナリオを書かせたかった」





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この記事へのコメント

さすらい日乗
2017年08月30日 13:44
加藤伸代って女優の日夏たよりですね。藤田敏八の『帰らざる日々』の名演が忘れられません。

男女の間はいろいろあるので仕方ないことですが、女優日夏たよりを奪った神山征二郎は許せないというのが、私の周辺での声でしたが、今となってはご冥福をお祈りします。

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