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脚本も担当しているアダム・マッケイ監督が、あらゆる意匠を凝らして描いてみせた近代米国史の一面だ。主人公に選んだのは、ブッシュ政権時代の副大統領、ディック・チェイニー。現在78才のチェイニーは、イエール大学を酒と喧嘩のために中退し、ワイオミング大学で政治学を専攻した。学生時代からの妻リン(エイミー・アダムス)が、泥酔したチェイニー(クリスチャン・ベール)を罵倒して、許すのは2度だけだと訴える場面がある。リンの父親はアル中のDV夫で、後に母親は謎の溺死を遂げている。リンはイエール大学を出たが、“女であるために”1960年代の米国南部での成功は不可能だった。リンは、すべてを夫に賭けたのだ。チェイニーは、生まれ変わったように、勉学に励んで政治と関わっていく。この作品の中心は、ニューヨークが襲われた同時多発テロ当時のチェイニーの動きに置かれている。米国は、テロの敵をアルカイダを筆頭とするイスラム過激派だと断定し、彼らとイラクとの関係を作り上げて、イラクを攻撃した。国連主導の多国籍軍を形成するために、慎重派で国連で支持の高かった当時のパウエル国務長官に国連で演説させているが、その首謀者がチェイニーだったことが描かれている。通常の米国政権内での副大統領は添え物で、主要な政治判断は大統領と補佐官たちで行なっている。だが、ブッシュ政権内でのチェイニーの重さは、大統領を凌いでいたのだ。副大統領が重要な政治判断ができるように、政権発足時から周到な人事を行なっている。ホワイトハウスを始めとする重要な部署には、チェイニーの協力者を置き、あらゆる情報がチェイニーに集まるように作り上げた。協力者の数は800人を超えていたと作品中では言っている。イラクに大量破壊兵器がないことはわかっていたが、作戦の中枢に置いたCIAが偽情報を作り上げて、幻の核兵器や生物兵器を創作したのだ。日本の小泉首相も、真っ先にホワイトハウスに駆け付けてブッシュ政権の戦争を支持しているが、実際はチェイニーの思惑に乗せられただけだった。チェイニーは、副大統領になる前に石油掘削機器販売の大手、ハリバートン社のCEOを5年勤めて、24億円の退職金を得ている。イラクの石油は、チェイニーを取り囲むエネルギー産業の幹部たちにとっても、ぜひとも手中に収めたい巨大な資源だったのだ。イラク戦争後、ハリバートン社の株は500倍に急上昇したと説明されている。チェイニーは、そのハリバートン社の株を大量に持っていた。チェイニーの政治人生で最大の試練は、次女が同性愛者だったことだろう。70年代の政治家で、南部を支持基盤に持つチェイニーにとって、同性愛を認めることはダメッジだ。作品の中でも、次女のことで大統領選挙を諦める場面があるし、ブッシュ政権に入る時も、次女のことは触れさせないようにしている。だが、晩年になって長女が上院議員に立候補した時には、次女を斬り捨ててしまう。次女の同性愛を否定することで、長女は選挙に勝てたのだ。ラストは、イラク戦争後のチェイニーのインタビュー場面になっている。戦死者が多数出て、イラクの住民にも60万人を超す犠牲者が出ていることを訊かれたチェイニーは、映画のカメラに向かって「だれかが悪者になることも必要だ。私は国のためにやれることをやった」と自分を正当化している。この作品にはナレーションが多用されている。ナレーターは、イラク戦争にも参加した平凡な男性が勤めているが、彼とチェイニーとの関係は最後になるまでわからない。驚いたことに、彼は作品の最後の方で車にはねられる。だが、その心臓が心筋梗塞の発作に襲われていたチェイニーの胸に収まる。実際、心臓病のために倒れたチェイニーは心臓移植手術で助かるのだ。ナレーター役の男性の心臓が、死にかけたチェイニーの命をさらに延ばしたことになる。実に巧みな脚本だと感心した。

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