いなくなれ、群青(19年公開・DVD)

aokunaregunnjou.jpg少年少女が大人になるために、脱ぎ捨てなければならない青い殻がある。その殻はかつての自分自身だ。優しさ、思いやり、友情や共感を捨てて、競争の中で勝ち抜いてゆける、したたかな自分に変わっていくのだ。生まれつきの悲観主義者、ペシミストの七草(横浜流星)は、小学校からの同級生、真辺由宇(飯豊まりえ)の存在に違和感を抱いていた。由宇は、七草とは対照的に理想主義者だ。由宇の理想と、七草の悲観が対立してしまう。七草の言動が、由宇を傷つけることもあった。今、七草は「階段島」にいる。ここで生活する2000人の人たちは、なぜ自分がここに来たのかを知らない。この島の暮らしは平安で、疑問さえ抱かなければ安穏に暮らせる。七草もこの島の暮らしを受け入れていた。だが、そこに現れた由宇が、七草を変えていく。由宇は、この島の暮らしに疑問を持つ。海に囲まれ、出ていくこのできないこの島から出ようと主張する。この島の高校生たちは、捨てられた人たちだと言われている。誰に捨てられたのか。この島を出ていくには、「失くしたものを見つける」ことが必要だともいわれる。失くしたものとは何だろうか。河野裕原作の「いなくなれ、群青」は、由宇と別れて階段島にやってきた七草の、心の叫びだ。七草は、悲観主義者だ。だが、その悲観主義こそ、七草の本質なのだ。由宇は、七草にとって、群青色の大空に輝くピストル・スターだ。空に輝く大きな星など、七草にはいらない。この島に集まってきた人たちは、脱ぎ捨てられた人格なのだ。成長するために不必要になったかつての自分自身。自分から捨てられたかつての自分が、この島に集まっている。ここには過去しかない。未来はないのだ。それでも、この島で七草は暮らし続けたいと思う。多くの人々が、この島から出て行こうとはしない。過去に受けた傷、哀しみのためだろうか。脚本・高野水登、監督・柳明菜による異色作である。

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