テーマ:近現代史

2・26許しの往復書簡

 毎日新聞(17/2/9)は、去年89歳で亡くなった渡辺和子さんと渡辺さんの父親で、陸軍教育総監だった渡辺錠太郎を殺害した青年将校の弟との手紙のやりとりを特集している。ノートルダム清心学園理事長だった渡辺さんと手紙をやりとりしていたのは、神奈川県葉山町在住の安田善三郎さん、9Ⅰ歳だ。13歳上の兄は、幼かった善三郎にとっては優しい兄だった…
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43発の銃弾を受けた父親

 毎日新聞17/1/8の「余禄」で、昨年末に89歳で亡くなられた渡辺和子さんを取り上げている。渡辺さんは、ノートルダム清心学園理事長を務められ、著書「置かれた場所で咲きなさい」でも知られている。記事によれば、 「どうしても咲けない時もあります。風雨が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を…
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昭和の戦争・日記で読む戦前日本

 今年還暦を迎えた学習院大学学長の井上寿一氏が、日経新聞に連載していた記事に筆を加えて6月に出版したのが、「昭和の戦争~日記で読む戦前日本」(講談社現代新書)だ。これを読むと、昭和初期から終戦までの歴史の中で、日本の政権中枢が節目節目の判断を誤ってきたのがよくわかる。 「第一に、戦争は異なる選択の積み重ねの結果としてはじまり拡大する。…
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2・26事件 娘の八十年~渡辺和子

 累計200万部のベストセラー「置かれた場所で咲きなさい」の著者で岡山県ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子氏は、昭和11年2月26日に起きた陸軍青年将校たちによるクーデターで父親を亡くされた。その渡辺氏と昭和史研究家・保阪正康氏が、「文藝春秋」2016年3月号で対談している。  渡辺氏の父親・渡辺錠太郎教育総監は、陸軍士官学校、…
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預金封鎖

 2016年5月9日付けの毎日新聞は、1946年に起きた「預金封鎖」を取り上げている。終戦直後、日本政府は国民の預金を奪い、積み重なった莫大な国家債務を帳消しにしかけたことがある。それが、預金封鎖だ。驚くのは、その当時の国の借金規模が、現在の日本政府の借金規模と、ほぼ同じだということだ。 「インフレ防止の緊急令いづ。今日から預金封鎖。…
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東京大空襲~ありがとうルメイさん

明治37年、鹿児島県川辺郡東加世田村に生まれた鮫島純也の少年時代は不運だった。網元の息子として生まれたものの、父は事業に失敗して純也が11歳の時に死んだ。遺された母親は、魚の行商をして3男6女を育てたが、3人の兄妹たちは次々と病死していった。  尋常小学校を出た純也は、鹿児島市内の呉服店で働きながら、夜は実業学校に通った。苦労続きだ…
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12月8日は、真珠湾攻撃の日

 毎日新聞12月8日付けの「余禄」には、こう書いてある。 『米英との開戦にあたり政府・大本営連絡会議で決定した「対米英蘭戦争 終末促進ニ関する腹案」という文書がある。戦争終結の目算を示した文書だが、願望を書き連ねた「官僚の作文」と悪名高い』  日本は、とうてい勝利の可能性がなかった米英蘭に対して戦争を始めた。それはなぜなのか。今でも…
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15対4

元自民党幹事長で、現在は自民党「宏池会」(岸田派)名誉会長の古賀誠氏は、福岡県遺族連合会の会長を兼ねている。 その福岡県遺族連合会が11月9日、ある調査結果を公表した。 各都道府県にある遺族会に対し、「昭和殉難者14柱」(A級戦犯)分祀に賛同するかどうかを尋ねたのだった。 結果は、15支部が分祀に賛同すると回答し、4支部が…
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シンガポール・チャンギ港

10月29日の新聞報道によれば、『米国海軍のイージス駆逐艦が南シナ海の南紗諸島で「航行の自由」作戦を実施したことに合わせ、海上自衛隊の護衛艦と米海軍の空母部隊が南シナ海で共同訓練することがわかった』とある。海上自衛隊は、9月26日から、米海軍とインド海軍がインド洋で実施した共同訓練「マラバール」に護衛艦「ふゆづき」を参加させた。その後、…
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             「松谷誠と服部卓四郎」

    平成七年、明治大学で歴史学を学んでいた山本智之は、素朴な疑問を抱いた。中学時代から人並みに受験勉強をしてきた山本にとって、超難関校の陸軍士官学校、陸軍大学に入学し、その中でも優れた卒業生だったエリートたちがどうしてあの愚かな戦争を主導していったのかという疑問だった。戦前の軍部の勉強を重ねるうちに、山本は終戦過程に強い興味を覚え…
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「京都と天皇を守れ!」

(「スイス諜報網の日米終戦工作」有馬哲夫著・新潮選書)  日本の敗戦が確実視されていた昭和20年6月29日、米国国民の世論調査が公表された。敗戦後の天皇の処置についての調査だった。処刑を望む国民は33%、終身刑を望む者は11%。軍閥の道具だったとして許すものは僅か4%だった。また、7月18日に実験成功が確認された世界初の原爆の投下先と…
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  「記者たちの終戦」

       「記者たちの終戦」(9月7日・毎日新聞・伊藤絵里子記者)  終戦間際の毎日新聞の中は、意見が割れていた。社内の短波放送受信機によって欧米の動きを素早く察知していた大手新聞社は、すでに日本が戦争に負けていることを知っていた。若い記者たちは次々に召集されて戦地に去り、残った少数の中年記者達も表裏2ページしかない誌面作りで…
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 「開戦」

                 「開戦」       (「昭和陸軍全史3」太平洋戦争、川田稔著、講談社原題新書)     昭和12年に始まった中国大陸での戦いは、陸軍の担当だった。精強の関東軍をソ連・満州の国境沿いに有力展開しながら、日本陸軍は蒋介石打倒の闘いを続けていたが、重慶に逃げ込んだ蒋介石は、英国と米…
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